今の俺は、シリアスな部分とバカな地とが、常に分離した状態で顕在化している。
言葉を弄して賢しらぶった文章を綴るのも俺だし、「ぼっこしでーす、うっぴょろろーん」と、ちょっと頭が可哀想な子なんじゃないかと読む人を不安に陥れるような文章を書いちゃうのも俺なのである。
両者の性質が混交する文章を書くことは、実はあまりなかったりする。針の振れ幅が大きすぎるのが、また悩ましかったりする。
とあるネット上の知人の方に、1000万ヒット記念のイラストを贈った時も、
こんな絵と同時に
こんな絵を添付しちゃうのも、また俺なのである。つうか何だよ袖余り番長て。描くなよ俺。
��ちなみに、上の絵は描画1週間弱、下の絵は描画2時間である。なにこの落差)
これって、実は無意識のうちに計算してるのかもね。
だって、楽だもん、バカなやつだって思われてたほうが。
常日頃から博覧強記ぶりを見せつけている人が、たまたま誤謬交じりの言説を公表したりすると、たちまちのうちに叩かれる。
己の博識ぶりを世間に知らしめているからこそ、間違いが許されないのである。
一方、バカは得である。低俗な発言を繰り返しても、
「ああまたやってやがる。しょうがねえなアイツは」
と冷笑されて終わりである。実に楽である。
それでたまに気の利いた文章を書いたりすれば
「おお、こいつこんなことも書けるんだ」
と好印象を持たれる。低い評価を受けているからこそ、良質なものに対する評価が高くなる。ヤンキーが動物をかわいがっていたりすると「実はいい人なのかも」と思われることと一緒である。
だから俺は、バカな面を惜しげもなく晒し続けている。
ああそうか。ようやく気付いたわ。納得。
尤も、本質がシリアスなのはただのバカなのかは、推して知るべしとしか言えないのだけれども。
後者だろ、とか言わないで。