おバカな識者と賢いバカ

どっちがいいんだろう、と最近思う。

今の俺は、シリアスな部分とバカな地とが、常に分離した状態で顕在化している。
言葉を弄して賢しらぶった文章を綴るのも俺だし、「ぼっこしでーす、うっぴょろろーん」と、ちょっと頭が可哀想な子なんじゃないかと読む人を不安に陥れるような文章を書いちゃうのも俺なのである。
両者の性質が混交する文章を書くことは、実はあまりなかったりする。針の振れ幅が大きすぎるのが、また悩ましかったりする。

とあるネット上の知人の方に、1000万ヒット記念のイラストを贈った時も、
pla10m_kinen.jpg
こんな絵と同時に
pla10m_kinen2.jpg
こんな絵を添付しちゃうのも、また俺なのである。つうか何だよ袖余り番長て。描くなよ俺。
��ちなみに、上の絵は描画1週間弱、下の絵は描画2時間である。なにこの落差)

これって、実は無意識のうちに計算してるのかもね。
だって、楽だもん、バカなやつだって思われてたほうが。
常日頃から博覧強記ぶりを見せつけている人が、たまたま誤謬交じりの言説を公表したりすると、たちまちのうちに叩かれる。
己の博識ぶりを世間に知らしめているからこそ、間違いが許されないのである。
一方、バカは得である。低俗な発言を繰り返しても、
「ああまたやってやがる。しょうがねえなアイツは」
と冷笑されて終わりである。実に楽である。
それでたまに気の利いた文章を書いたりすれば
「おお、こいつこんなことも書けるんだ」
と好印象を持たれる。低い評価を受けているからこそ、良質なものに対する評価が高くなる。ヤンキーが動物をかわいがっていたりすると「実はいい人なのかも」と思われることと一緒である。
だから俺は、バカな面を惜しげもなく晒し続けている。
ああそうか。ようやく気付いたわ。納得。

尤も、本質がシリアスなのはただのバカなのかは、推して知るべしとしか言えないのだけれども。
後者だろ、とか言わないで。

カラ

分かってたんだけどね。
相手の内面に踏み込まなきゃ、諸々見ずに済む。
荒れた波も、じっと息を潜めてれば穏やかに戻る。
そう考えた上での無関心、無干渉。
そんな態度がダメだって事は。
周りにもっと目を向けろ、て色んな人に言われ続けてた筈なのにね。

俺を取り巻く、十重二十重の殻。
外界を内包しているものも、体に密着して閉じているものもある。
その内の一層、一番壊れて欲しくなかった殻が今、
音を立てて壊れ去ろうとしている。
表面には無数の罅。
もはやどんな接着剤を使っても修復不能。
じわじわと、確実に崩れ去りつつある。

大切にしていた殻が、メンテナンス不足で自重に負けて自壊。
最悪の顛末だ。

いっそ、俺ごと押し潰してくれりゃいいのに。