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怪談1本追加

なんかもう、色々ひどいんで、多分あとで推敲する。
時間も時間なんで、今日はここまで。アデュー。

星のない夜の街角の会話

「……なあ」
「ん?」
「俺たち、なーんで毎年こうやってさ」
「クリスマスの街角ウォッチングやってんのかな、だろ?」
「人の台詞取るな」
「そうやってぼやくのも、毎年恒例だからな」
「まあ、ぼやきたくもなるわな」
「しょうがねえさ、他にやることがあるわけじゃないし」
「かといって、家で飲んで無理やり盛り上がるのも虚しいしな」
「翌朝の自己嫌悪がひどいよな」
「まったくだ」
「……で、とうとう俺たち二人だけ、か」
「他の連中は、結婚したり仕事が忙しかったりするからな」
「こんな暇な行事に付き合ってらんねえ、てわけだ」
「そりゃそうだ、33にもなって、非生産的なことやってらんねえって」
「……33かあ」
「……33なんだよなあ」
「俺さあ、ガキの頃はさ」
「うん」
「大人になったら、眩しいくらい輝いてる生活が待ってる、て思ってた」
「仕事も遊びもガンガンやってて、女にも金にも不自由しない」
「そう、バブル絶頂期みたいな、あんな将来」
「わかるなあ。期待とかじゃなくて、必然って感じだったよな」
「……まさか、俺たちの時代には絶望しか残されてなかった、なんて想像もしなかったよなあ」
「なんてぼやいても、モラトリアムを無為に過ごしたツケが巡ってきてるってだけだけどな」
「違いねえ」
「……」
「……そういやさ」
「ん?」
「俺、もしかすると今日、ここに来なかったかもしれなかったんだ」
「は? どういうことだよ?」
「今年の夏、バイト先の女といい感じになってさ」
「え、マジ? 聞いてないんだけどそんな話」
「今初めて話した。んでさ、その子、7歳下なんだよね」
「んで?」
「その子、今の俺を見てないんだよね。もっと先のさ、レベルアップした俺を見てる、ていうか」
「過度に期待されてた、てわけか」
「そ。だから逃げた」
「は?」
「怖かったんだろうなあ俺。買いかぶられても、それに応える自信もスキルもないし」
「それは今からの努力次第じゃね?」
「今まで半分ニートみたいな生活してた、燃えカスみたいな男が、どう変わるっての?」
「そりゃあ、さあ」
「腐った土台に石を積み重ねても、重さに耐え切れなくてガラガラ崩れるだけさ」
「だから逃げた」
「詰りたけりゃ詰ればいいさ。反論できるだけの火種も残ってないからな」
「……一本吸うか?」
「サンキュ」
「タバコ、不味いな」
「まったくだ」
「……ところでさあ」
「うん?」
「俺たち、生きてんのかな? 死んでんのかな?」
「全くわからねえ」
「さっき、トラックが突っ込んできたよな」
「ああ、突っ込んできたな」
「どっか怪我してる?」
「実は、左足がむちゃくちゃ痛え」
「俺も、右腕が全く動かないんだわ」
「それに血まみれだしな、お前」
「お前もな」
「知ってる。こめかみが生温かいからな」
「……で、生きてんの俺ら?」
「だからわからねえよ」
「あれかな、聖者が生まれた夜だから、神様もお情けで助けてくれたのかな?」
「あ、クリスマスって、キリストが生まれた日じゃないんだぜ」
「え、マジで?」
「マジで。降誕の日、らしいよ」
「降誕、て何がだよ?」
「知らねえ。知らねえけど、どえらいもんが舞い降りたんだろ」
「まあ、記念日にするくらいだから、どえらいんだろうな」
「だろうなあ」
「もし生きてるとすると、そいつが起こした奇跡、てやつなのかもな」
「死んでたら?」
「神様の気紛れ」
「どっちにしろ、俺たちは俺たちの意思で生死すら決められないってことか」
「世の中の縮図だよなあ。いや、世の中が、神の掌の縮図なのかもな」
「……で、お前は生きたいの? それとも死んでたほうが嬉しい?」
「どっちだろうな。はっきりとは決めらんねえけど」
「けど?」
「生きるのはつまらんけど、進んで死にたいほどじゃない、てことかな」
「なんだそりゃ。中途半端だな」
「お前もそうなんだろ」
「まあ、否定はしねえな」
「とにかく腕が動かないのを何とかしてほしいぜ」
「同感だ。そろそろ痛みをごまかすのも限界だ」
「サンタに頼むプレゼントは、山盛りのモルヒネだな」
「そうじゃなきゃ、塩化カリウムだな」
「笑えねえ」
「まったくだ」

聖なる夜の虚空に、サイレンが響き渡る。


メリークリスマスxxx

おめでとう!

 解禁ぽいから、発表するか。


●「超」怖い話 超-1 怪コレクションVo.2 2006年10月28日発売(竹書房)

「超-1」に投稿された作品集なわけだけど。

 えー。

 載っちゃいました、俺の作品。




 報告終了。


 
 いや、1本だけなんだけどね。
 気になったのは、メルマガにあった本のコンセプトに関する記述。

��怪コレ2は「超-1を終えた猛者が、超-1経験後の経験値が上がりまくった状態でセルフリライトする」というところが見所。

 ゚Д゚) ………


 ゚Д゚) セルフ……リライト……


 してません。皆さんゴメンナサイ。
 投稿したまんまの文章でOK出しちゃいました。

 ともあれ、俺が書いた文章がペーパーメディアとなって世に出回るわけで(3ページだけだけどな)。
 それの伴って印税が入ってくるわけだけど、嬉しい反面怖い。こんなんで金貰っていいのか俺。サーバにUPするだけなら極稀に訪れてくださる方々が読むだけに留まるわけだけど、本になって出回っちゃったら不特定多数の読者の方々の目に留まっちゃうわけで。
 怖いなあ。けど、もう本出ちゃったし。

 え、他の投稿作品のUPはまだか、て?
 ゴメン、しばらく毛布の中で震えてるんでムリポ。
 
 死んだらいいと思う、俺。
 

「お前のキャラに合わねー」とか言うな、て内容

 最近、色々な素性の人と接するようになってふと気付いた。

 会話は最も手軽で最も身近なコミュニケーション手段だ。
 しかしそれは大概の場合「言葉を行き交わさせている」だけで終わっている。当たり障りの無い、時事ネタ、趣味、カルチャー、一般教養的な知識。
 心の水辺の奥底を見透かすことが出来るなら、そこには大量の「本質」が沈殿しているのが見えるはずだ。本音とはまた違う、各々が決して表に出すことなく抱え続けている本質が。
 その「本質」は、口の端に容易に持ち上げられることは無く、虚しく水を吸い続けて溺死体のように膨れ上がって水面を漂っているだけである。
 人は自分の根幹を見せない。気恥ずかしさが起因している場合もあるだろう。が、大抵の場合は、曝け出す恐怖に身を縛られているからだ。
 ここでこんなことを言ったら、この場はどうなるのだろう。
 こんなことを曝け出したら、この人はどういう反応をするのだろう。
 その後、自分はどういう顔をしてこの人と接し続けなければならないのだろう。
 気軽に味を楽しむだけなら、ジャンクフードでも全く構わない。常にヘビーな食傷に包まれた人生を望んでいる人は、かなりのマイノリティだろう。
 だからこそ、他人の本質を覗けたとき、俺は「その人」を知った歓びよりも遥かに強い衝撃と畏怖に襲われる。外面との落差が大きいほど、その度合いは一層強くなるのは多言を要しない。
 本質を知る、そのものに対する怖さではない。俺の中の本質と並べて俎上に乗せて対比した時、いかに自分が空虚な人間か思い知らされる事に恐怖するのだ。
 今まで、何も考えず、何も得ようとせず閉鎖的に生きてきた。そのツケがこの歳になって一気に降りかかってきている。年齢相応に自分の本質が育っていないのだ。
 ポリシーも思想も無い。だから持論が無い。あるのはクソの役にも立たない知識と、相手に同調しているように見せかける術だけだ。薄っぺらなペーパー人間一丁上がり、である。
 目の前に、ドアノブが無い一枚のドアがあったとする。指を引っ掛ける取っ掛かりも無く、自力で開けることは出来ない。
 そこに横から何者が現れ、ドアノブを握った手を俺に差し伸べる。その人物が口を開く。
「これを使ってドアを開ければ、お前が望む人の心底を何もかも見ることが出来るぞ」
 恐らく、俺はドアに背中を向けて立ち去るだろう。人の本質を見るということは、等しく自分の本質を反射した鏡を見ることであり、直視できない現実をまざまざと見せ付けられる事だから。
 焦って動こうとはする。手をばたつかせ、必死に足を回転させて前へ進もうとする。心臓発作寸前のマラソンランナーみたいに。
 マラソンレースは走り続けていればいつかはゴールへ辿り着く。けど、人生は別だ。必死になって走り続けていても、全くの見当違いの方向に向かっていたり、直進しているつもりでも実はオーバルコースの上を走っていただけで、気付いたらまた元の場所へ逆戻りしていたりもする。正解のルートは無い。だからこそ、どこへ進めばいいのか分からなくなり、無為に闇の中で横臥するだけなのである。
 最近、他人が妬ましく思えるときがある。俺が持っていない「本質」を持っている他人が。その度にまた、出口が見えない迷宮に迷い込みそうになり、自己嫌悪に陥ったりもする。
 ホント、つまらん「大人」に育ったもんだ。子供の頃の俺、ゴメンな。俺、お前が思い描いてる理想像と全く違う、空っぽの人間になっちまってる。
 どこに行けばいいんだろう、俺。最近、歩いてる道の一歩先が全く見えない。

では。

 疲れ果ててます……。

「超」怖い話で開催中の、共著者公募企画「超-1」
 作品応募及び講評ぶちこんで来ました。
 つかね、この企画自体1月末の段階で既に知ってたのよ。
「ほう、これは豪気な! どれ、儂の力がいかほどか試してみようや」
とばかりに、応募する気満々だったわけさ。
 んで、締め切りが5月っての知って、
「こりゃあまだまだ時間あるからネタ仕入れる余裕あるね」
と、のーんびり構えてたのよ。

2月:まだ募集開始まで時間あるね。楽勝楽勝。
3月:あ、そういや書かないとだな。まあまだ時間あるけどね。
4月:(完全忘却)
5月上旬:(思い出すことが無いままGWは遊び呆け)

 で、思い出したのが5/15頃。
「そーいや、そろそろ締め切りだな。書き始めるか。て、締め切り何日だ?」

 確認して、背筋凍りましたよ。
 締切日5/20。

 やっべ! 鬼やべえ! マジ時間ねえ!
 つか一人最低3編? 間に合うのかこれ。

 書きましたよ、ええ。書きましたさ。5編。
 新ネタ仕入れる時間が無くて、昔仲間から聞いた話を使ったくらいに余裕が無かったさ。
 推敲する暇なんてナッシング。誤字脱字をチェックしたら送信フォームにshoot him!でございます。応募者の中で、一番舐めきってるね俺。
 そんな夏休みの宿題を9月5日にやるような性格は、この後の作業にもツケを作ることになる。
 それは、応募者による交互審査。
 つまり、作品を応募した者は、他の応募作品にも講評を加える義務があったわけで。

 応募総数、529点。
 締め切りまで2週間。

 えーっと……1日30点以上読んで講評付けっすか。
 鬼みたいな企画ですねコレ。
 そんな時に限って、仕事で残業の毎日だったりするのが、ぼっこしクオリティ。どこまでネタ人生なんだ俺。
 お陰様で、土日もずっと怪談漬けでしたよ。さすがに怪談好きでも、1日に100点以上読んだらゲップ出るってばさ。
 
 で、黙々と講評付けをすること約10日。

 終わりませんでした。orz
 自己作品への講評は終わったんだけど、他の応募作への講評を50件以上残した時点でタイムアップでございます。
 オカ板覗いたら、手厳しい講評者の中にしっかりリストアップされてやんの俺。自分の事は棚に上げて他人に厳しく。ダメ人間だね俺。
 これで全て終わって、あとは天命を待つばかり……とはいかないのが悲しいところ。この後に、まだ応募者講評という代物が待ち構えてるわけでして、ハイ。
 ぶっ倒れていいですか?

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 そんなわけで、勢い余って新作追加
��今、「いきおいあまって」を変換したら「勢い海女って」て出たよ。持ち主に似てPCも狂ってやがる)
 半年以上前に冒頭だけ書いて放置状態だった作品を書き上げてみましたよ。
 今回の「超-1」参加で、また文章書く気力出てきた。いいことだ。
 これが長続きすれば、だけどね。