うちの会社の朝礼では「職場の教養」という、道徳心や仕事の心構えを養うためのちょっと宗教臭い小冊子の小話を読み、それについての感想を書物から得た知見や実体験、時事ネタなどを交えたスピーチをするという面倒臭い習慣がある。
今日は俺の番。テーマは「積み重ねを楽しみましょう」
積み重ねるどころか、人生取っ散らかしまくりの俺と真逆のテーマ。
語れる体験談など皆無なのでしょうがないから、ちょっとしたエピソードを披露することに。
私が学生の頃、とある年配の男性から聴いた話です。
その男性、仮にAさんとしましょうか、Aさんは若かりし頃横浜に住んでいました。
若かりし頃と云いましても、二十年や三十年前ではありません。もっと以前、太平洋戦争の只中の時代です。Aさんは当時、軍需工場で働く二十歳手前の多感な青年でした。
ある休日、街を逍遥している時、Aさんは一人の美しい女性とすれ違いました。
その純情可憐で優雅な佇まいにAさんはたちまち一目惚れをし、熱に浮かされたように、女性の後をこっそり付けました。
女性が入っていったのは、豪壮な屋敷でした。きっと、名にし負う名士の邸宅に相違ありません。自分など釣り合うはずがないとAさんは失意のうちに家へ帰りますが、女性の姿が脳裏から離れず、どうにも諦めきれません。
そこでAさんは、女性の住所を調べ、彼女へ手紙を出すことにしました。
電子メールなどまだ存在せず、電話も交換手に繋いでもらっていた、そんな時代です。離れた相手への意思伝達は、手紙を使うしかありません。
相手への思いを文に認めそっと送る。ストーカーという言葉など、影も形もありません。お奥床しさを楽しむ趣致がそこかしこに残る時代でした。
Aさんは一枚の便箋に、慣れない筆付きで女性に宛てた手紙を書きます。しかし何ぶんシャイなAさん、あからさまに女性への想いを披瀝することなどできるはずもありません。手紙の内容は四方山話や時候の話など、他愛もない内容でした。
投函から約半月後、Aさんの元に女性からの返信が届きます。Aさんは飛び上がらんばかりに喜び、すぐさま女性宛の手紙をしたためました。
こうしてAさんと女性との文通は始まり、それは三年に及びました。
しかし折り悪く、Aさんの生活を激変させる出来事が起きます。
横浜大空襲です。
下宿先を失ったものの、どうにか命だけは拾ったAさんは、黒煙立ち昇る横浜の街中を女性の家目指して駆けましたが、女性の家はまるっきりの灰燼と化していました。
戦中戦後の混乱もあって、女性の消息は杳として知れないまま、五十年以上の歳月が経ちました。
永い歳月の間に、Aさんは別の女性と結婚し、二人の子どもを設けました。細君には早くに先立たれ、子どもたちも立派に独立し、Aさんは独り静かに老後を過ごしていました。
ある時、体調を崩したAさんは、市内の総合病院に入院しました。
そこでAさんは、自分と同年代と思しき老婦人と出会います。すっかり白くなった長い髪をゆるく編み込んだ、淑やかな婦人です。
たまたまベンチで隣り合わせ、「桜が綺麗ですね」などと何気なく口を切ったのですが、話しているうちに、その老婦人も自分と同様に老後の人生を一人で過ごしていることを知りました。婦人は若い頃に実業家と結婚したものの子宝に恵まれず、肩身が狭い思いをしていたそうです。人生の伴侶であるご主人も既に亡く、今は遺産で生活しているといいます。
思い出すのも辛い身の上話よりはと、やがて話題は若い頃の話へ移り、Aさんと老婦人はしばし古い時代の話に花を咲かせました。
そこで老婦人が、こんな事を言いました。
「横浜に住んでいた頃、主人ではない別の男性の方と、手紙のやり取りをしていたことがあるんですよ」
Aさんの頭に、遠い日に抱いた思慕の念がじわりと広がります。
と胸を突かれましたが、よくある話だろうとAさんは思いました。
「何十通も手紙を交わしましたけど、空襲でほとんどが焼けて、残っているのはこの一通だけ」
言いながら老婦人が懐から取り出したのは、紛れも無く、Aさんが若い頃に書いた手紙でした。
「主人は子どもを産めない身である私を心から愛してくれましたし、何一つ不自由のない生活を提供してくれました。私の人生の中で、一番大切な男性です。でも、私の人生の中で一番ときめいていたのは、この手紙をやり取りしていた頃なんです。どんな方なんだろう、何を思って手紙を書いてくださるんだろう、と想像するだけで胸が躍ったものです」
老婦人が殊勝な手つきで開いた手紙、文末にはこうありました。
『もう今年は葉桜になってしましたが、いつか貴女と満開の桜を眺めたいものです』
それは数十通に及ぶ手紙の中で、ただ一度、Aさんが吐露した女性への想いでした。
その後Aさんは老婦人にすべてを打ち明け、誼を交わすようになりました。
思いがけない再会から数年後に老婦人は空しくなり、Aさんもまた既にこの世の方ではありません。
雨垂れが石を穿つという諺があるように、一つ一つはほんの小さな囁きであっても、何度も繰り返せばそれは人の心を動かしうる言葉になります。
自分の気持ちが伝わらない、理解して欲しいと願うのであれば、焦らずにじっくりと言葉を重ねることも、時には有効なのではないでしょうか。
ひとくさり話したところで、
「……と、以上で私の感想は終わりですが、ところで今日は何月何日でしょう。嘘も積み重ねると、人の心を惑わしたり、時に害をなす凶器になりえます。人の話を何の疑いも持たず鵜呑みにすると危険なので、気を付けましょうね☆」
と締めくくったら、大ブーイング喰らった。
(・ω・)わけがわからないよ。
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