俺のいびきはメガデス級らしい。
曰く、「ファンタジーの世界のモンスターが唸ると、こんな声なんじゃないか」
曰く、「工事現場の音のほうがまだ優しい」
曰く、「首取っ払っちまえ」
加えて、ここ最近身体的な異常を自覚するようになってきた。
まず、いくら寝ても寝足りない。4時間寝たあとと12時間寝たあとの感覚がほぼ一緒ってのはなんかヤバイと思う。
さらに、目覚めが異常に悪い。窓ガラスが割れる寸前までコンポの音量を最大まで上げてもなかなか目覚めなかったのだから、重症である。
加えて、起きると頭痛がする。さすがに、寝起きの頭痛は朝から陰鬱な気分に陥る。
どうも、無呼吸症候群なんじゃないかと心配になってきたんで、病院で診てもらうことにした。
すると、検査入院が必要とのこと。原因が何であれ、まずは睡眠時のデータを採取しないことには始まらないのである。
検査の際には、身体中にセンサーを取り付ける必要があるんだけど……
まあ、これを見て欲しい。
一瞬、どこの宗教団体の洗脳かと思ったですよ。
そうじゃなきゃ実験用の動物。
バナナが入ったアクリルケースが出てきたらどうしよう、とちょっと心配になった。
この仰々しいセンサー群の内訳は
・顔面の筋肉の動きを読み取るセンサー
・脳波を読み取るセンサー
・喉の振動を読み取るセンサー
・呼吸を読み取るセンサー(鼻の下に装着)
・体温を読み取るセンサー(鎖骨付近に装着)
・心電図用のセンサー
・指先に取り付けるセンサー(末梢部の血流量を読み取ってるのか?)
・足の筋肉の動きを読み取るセンサー
……。
そりゃコードだらけにもなりますわな。
寝辛そうかと思いきや、薬のお陰で21時にすんなり入眠。
そのまま、センサーを外される朝6時までぐっすり快眠……と思いきや、マットレスの硬さと同室のおっさんのいびきのお陰で何度か目覚め、どうにもすっきりしない。
結局、朝食が出てくる7時半まで二度寝。ちなみに病院の朝食はレンコン満載ですた。
検査代は、3割負担で2万ちょい。テラタカス。
結果が出るのは来週の火曜日。さて、どんな診断が下るのやら。
これでいいんじゃね?
小学校の頃、親にファミコンのカセットを買いに行ってもらったことが一度だけある。
リクエストしたのは、たしか「いっき」だったように記憶している。
今でこそクソゲーの評価を下されているタイトルだが、当時はそこそこ人気のソフトだった。
「なかったから代わりに買ってきた」
帰宅するなり親父が言う。
その手には「スパイVSスパイ」が握られていた。
百姓とスパイ。竹やりとトラップ。両者間に共通項を探すほうが難しい。
内心「これじゃねえよ……」とぼやいたが、幼少時における親父の権威はブルジュ・ドバイに匹敵するほど高い。
蜂起する気力など微塵も起きず、おとなしく「スパイVSスパイ」のカートリッジをファミコン本体に差し込むより他なかったのである。
その後「スパイVSスパイ」の全マップを頭の中に収め、対戦では常勝無敗になるまでやりこんだのだが、それはともかく。
この「欲しかったのはこれじゃないよファック」というほろ苦い思いは、誰しもかみ締めた経験があることだろう(ちなみに俺はその後、ファミコンのカセットを親に注文することは一度もなかった)。
親におもちゃを頼んだときからじわじわと上がる嬉しさのボルテージは、親が「ただいまー、買って来たぞー」と帰宅したときに頂点に達する。それが、包みを開けた瞬間、まるでエベレストの頂上からマリアナ海溝の最深部に叩き落されたような絶望感に変容するのだ。
このときの落差の大きさがおもちゃの人気にの高さに比例するという法則は、スティーヴン・バーシック博士が八~十歳の少年を対象にして行った臨床実験によって確立されている。もちろんデタラメだが。
しかし世の中は広い。
この「欲しかったのはこれじゃない!」をコンセプトにした玩具が存在するのである。
それが、ザリガニワークスの「コレジャナイロボ」なのである。

「欲しかったのはこれじゃなーい!!」プレゼントを開けた子供から発せられる悲痛の叫び。楽しいはずのクリスマスが突如、修羅場に。こんな経験ありますか?できれば避けたいものです。しかし人生、欲しい物が何のリスクもなしに手に入るなんて話はそうはありません。欲しい物を手に入れる為には努力も必要だという事を何らかの機会に知っておくのも良いでしょう。
「コレジャナイロボ」はその絶妙な偽物感、カッコ悪さにより、その事をお子さまにトラウマ級の効果をもってお伝えする事でしょう。
情操教育玩具として是非お試しください。
��以上、オフィシャルwebサイトからの抜粋)
なんか尤もらしいボディコピーが書き連ねてあるけど、恐らくは
「なんかパチモンくさい商品を作りたかったから作ってみた」
てのが本音だろう。
しかし、一時期は3ヶ月待ちのバックオーダーがあったというから見事というより他ない。
ちなみにこの商品、ハンドメイド版は木製、量産版はソフビ製である。ダイカストやプラスティックを使わないあたりに、こだわりを感じる。
つうかこの商品のキャッチコピーは「欲しかったのはこれじゃなーい!!」なのだが、ゴメン、普通に欲しいわコレ。
商品全体から漂うパチモン臭がたまらん。
まあ、買い集めても後の処理に困るけど、シルバーのドクロリングとかは普通にアクセとして欲しい。
これを買って親戚の子供に配る……のは、周りの視線が痛そうだからやめとくか。
リクエストしたのは、たしか「いっき」だったように記憶している。
今でこそクソゲーの評価を下されているタイトルだが、当時はそこそこ人気のソフトだった。
「なかったから代わりに買ってきた」
帰宅するなり親父が言う。
その手には「スパイVSスパイ」が握られていた。
百姓とスパイ。竹やりとトラップ。両者間に共通項を探すほうが難しい。
内心「これじゃねえよ……」とぼやいたが、幼少時における親父の権威はブルジュ・ドバイに匹敵するほど高い。
蜂起する気力など微塵も起きず、おとなしく「スパイVSスパイ」のカートリッジをファミコン本体に差し込むより他なかったのである。
その後「スパイVSスパイ」の全マップを頭の中に収め、対戦では常勝無敗になるまでやりこんだのだが、それはともかく。
この「欲しかったのはこれじゃないよファック」というほろ苦い思いは、誰しもかみ締めた経験があることだろう(ちなみに俺はその後、ファミコンのカセットを親に注文することは一度もなかった)。
親におもちゃを頼んだときからじわじわと上がる嬉しさのボルテージは、親が「ただいまー、買って来たぞー」と帰宅したときに頂点に達する。それが、包みを開けた瞬間、まるでエベレストの頂上からマリアナ海溝の最深部に叩き落されたような絶望感に変容するのだ。
このときの落差の大きさがおもちゃの人気にの高さに比例するという法則は、スティーヴン・バーシック博士が八~十歳の少年を対象にして行った臨床実験によって確立されている。もちろんデタラメだが。
しかし世の中は広い。
この「欲しかったのはこれじゃない!」をコンセプトにした玩具が存在するのである。
それが、ザリガニワークスの「コレジャナイロボ」なのである。
「欲しかったのはこれじゃなーい!!」プレゼントを開けた子供から発せられる悲痛の叫び。楽しいはずのクリスマスが突如、修羅場に。こんな経験ありますか?できれば避けたいものです。しかし人生、欲しい物が何のリスクもなしに手に入るなんて話はそうはありません。欲しい物を手に入れる為には努力も必要だという事を何らかの機会に知っておくのも良いでしょう。
「コレジャナイロボ」はその絶妙な偽物感、カッコ悪さにより、その事をお子さまにトラウマ級の効果をもってお伝えする事でしょう。
情操教育玩具として是非お試しください。
��以上、オフィシャルwebサイトからの抜粋)
なんか尤もらしいボディコピーが書き連ねてあるけど、恐らくは
「なんかパチモンくさい商品を作りたかったから作ってみた」
てのが本音だろう。
しかし、一時期は3ヶ月待ちのバックオーダーがあったというから見事というより他ない。
ちなみにこの商品、ハンドメイド版は木製、量産版はソフビ製である。ダイカストやプラスティックを使わないあたりに、こだわりを感じる。
つうかこの商品のキャッチコピーは「欲しかったのはこれじゃなーい!!」なのだが、ゴメン、普通に欲しいわコレ。
商品全体から漂うパチモン臭がたまらん。
まあ、買い集めても後の処理に困るけど、シルバーのドクロリングとかは普通にアクセとして欲しい。
これを買って親戚の子供に配る……のは、周りの視線が痛そうだからやめとくか。
バランス
やっぱあれだね。
生きていくうえで想像力ってのは必要だね。
自分の行動がどんな結果を招くか、
そしてどれほどの影響を周囲に及ぼすかを想像できないってのはヤバスギル。
KY程度で済めばいいけど、
人を轢いて何キロも引き摺ったり、
ハナから所有していない著作権を売りつけるってのは
姑息を通り越した短絡さだ。
目先だけ見てて数メートル先すら見えてないとか、もうね以下略。
かといって、あり過ぎってのもヤバイかも。
将来訪れる閉塞に悲嘆して自殺ってのは、豊か過ぎる想像力が生む悲劇じゃないかと。
作家や漫画家などのストーリーテラーを生業とした人の自殺が割かし多いのはその裏づけじゃないかと。
ほどほどが一番、てことか。
カルシウムと一緒だね。
生きていくうえで想像力ってのは必要だね。
自分の行動がどんな結果を招くか、
そしてどれほどの影響を周囲に及ぼすかを想像できないってのはヤバスギル。
KY程度で済めばいいけど、
人を轢いて何キロも引き摺ったり、
ハナから所有していない著作権を売りつけるってのは
姑息を通り越した短絡さだ。
目先だけ見てて数メートル先すら見えてないとか、もうね以下略。
かといって、あり過ぎってのもヤバイかも。
将来訪れる閉塞に悲嘆して自殺ってのは、豊か過ぎる想像力が生む悲劇じゃないかと。
作家や漫画家などのストーリーテラーを生業とした人の自殺が割かし多いのはその裏づけじゃないかと。
ほどほどが一番、てことか。
カルシウムと一緒だね。
いつもみています
つうかこれ、今年一発目の日記じゃね?
ゆとり世代じゃないのにゆとり全開とか、マジありえない。
まあ、本来こんな馬鹿が言うのも何だけど、ネットは馬鹿が多い気がする。
たとえば、乳揉みしだいて股全開にした画像を貼って「毎晩一人エッチはさみしい><誰か慰めて><」
なんてレスを入れようものなら、
「俺なんてどうよ。あ、俺チンコでかいよ」とか
「真剣にお付き合いさせていただきたいです。必ず満足させます」とか、
池に餌を放ったときの鯉のごとく、下半身充血男がわさわさ釣れる。
あるいは、Yahoo知恵袋に
「とばし携帯が欲しいんですけど、どこで手に入りますか?」
なんつう、お前明らかに来るとこ間違えてるよ、と突っ込みたくなる質問が寄せられる。
blogやmixiに犯罪行為としか思えない武勇伝を得意げに書いちゃって、結果として炎上を招く。
日常では遭遇したくてもなかなかお目にかかれない奇人変人が、
ネット上には無数に出没している。毎日がカーニバル状態だ。
インターネットは今、web2.0の時代である。そろそろweb3.0の時代が到来するとか言われているが、本質は一緒である。
つまり、「誰もがネット上の知的資産の構築に参加でき、それを無料ないしは廉価で共有できる世界」なのである。
従来のメディア、またはネットの揺籃期において、情報とは限られた一部が提供し、多数無限大が享受するという構造だった。それが、blogの普及やSNSの発達などによって大きく揺らいだ。
それに大きく寄与したのは、ネットが持つ匿名性であろう。顔も素性も知られていないなら好き勝手言っても構わないだろう、という考えが蔓延したのである。本来、ネットにおいても言動責任は伴うし、巨大化して社会に対しても甚大なる影響を及ぼしているのだから責任の放棄など罷り通らないのだが、「言論の自由」を取り違えちゃっている輩が少なくない。つうかかなり多い。
その最たる例が、6月から頻発した犯行予告逮捕である。
逮捕者は「ここまで騒ぎになるとは思わなかった」「目立ちたかった」などという刹那的な理由を並び立てている。自分の言動がどのような結果を招くか、という想像すらしていない。
これは単に思考力の欠如ではなく、ネット特有の仮面性による責任意識の欠如が引き起こしたことなのである。
インターネットは、無数の参加者による仮面座談会のようなものである。相手の素性も顔もわからないし、また同時に自分の素性・顔が知られることも無い。だから、気軽に爆弾発言を投下してしまうのである。IPログを解析して所在地を割り出すことなど容易なのだから実社会で同様の行為をしたときよりも遥かに短時間で確実に露呈してしまうことなのに、なぜか「ばれやしないだろう」という思考が働くのだから理解できない。
しかも、こうした愚行は、インターネット上では遍く伝播する。すると、今までは一部の人間しか知りえなかった状況を、不特定多数の人間が知るようになったのである。もちろん、日本国内に留まらず、世界規模での話である。既存メディアでは限定的にしか伝え切れなかった(あるいは、恣意的に伝えようとしなかった)情報が、包括的かつ多角的に共有されるようになった。
恐らく、今回の北京オリンピックにしても、ネットが無かったらここまで実情が明るみに出ることも無かったろうし、昨今問題になっている韓国の反日運動にしても朝日や毎日あたりが戦犯意識を日本人に突きつけて嫌韓感情が芽生える土壌すら潰していただろう。
ネット出現直前まで、日本のジャーナリズムは太平洋戦争時の大本営発表となんら変わっていなかったのである。ソース信頼度のヒエラルキーの頂点には、新聞が鎮座しいてた。その版図を塗り替えたのがインターネット、換言すれば、インターネットを利用している名も無き不特定多数の情報発信者たちだったのである。
もはや、メディアの既得権は消失し、印象操作や世論誘導がし辛い状況にある。だが今度は、そういった工作の手段がネットに摩り替わりつつある。組織的な工作であっても、誰が発言したのか外部からでは分からないネット上においては、「世間一般的な見解」と捉えられてしまう危険性を孕んでいるのだ。
これは怖い。「嘘を嘘を見抜けない人間は、掲示板を使うことは難しい」と言ったのはひろゆきだが、それがネット全般に波及しつつある。両の眼で真贋を見極める、もののけ姫のアシタカの気概が必要になってきているのだ。
俺も気をつけなきゃいけない。もう、無料動画の文字に踊らされて、ワンクリック詐欺に引っかかることがないようにしなければ。
��注:2回引っかかってます。当然、金なんざ払う気すらありません)
ゆとり世代じゃないのにゆとり全開とか、マジありえない。
まあ、本来こんな馬鹿が言うのも何だけど、ネットは馬鹿が多い気がする。
たとえば、乳揉みしだいて股全開にした画像を貼って「毎晩一人エッチはさみしい><誰か慰めて><」
なんてレスを入れようものなら、
「俺なんてどうよ。あ、俺チンコでかいよ」とか
「真剣にお付き合いさせていただきたいです。必ず満足させます」とか、
池に餌を放ったときの鯉のごとく、下半身充血男がわさわさ釣れる。
あるいは、Yahoo知恵袋に
「とばし携帯が欲しいんですけど、どこで手に入りますか?」
なんつう、お前明らかに来るとこ間違えてるよ、と突っ込みたくなる質問が寄せられる。
blogやmixiに犯罪行為としか思えない武勇伝を得意げに書いちゃって、結果として炎上を招く。
日常では遭遇したくてもなかなかお目にかかれない奇人変人が、
ネット上には無数に出没している。毎日がカーニバル状態だ。
インターネットは今、web2.0の時代である。そろそろweb3.0の時代が到来するとか言われているが、本質は一緒である。
つまり、「誰もがネット上の知的資産の構築に参加でき、それを無料ないしは廉価で共有できる世界」なのである。
従来のメディア、またはネットの揺籃期において、情報とは限られた一部が提供し、多数無限大が享受するという構造だった。それが、blogの普及やSNSの発達などによって大きく揺らいだ。
それに大きく寄与したのは、ネットが持つ匿名性であろう。顔も素性も知られていないなら好き勝手言っても構わないだろう、という考えが蔓延したのである。本来、ネットにおいても言動責任は伴うし、巨大化して社会に対しても甚大なる影響を及ぼしているのだから責任の放棄など罷り通らないのだが、「言論の自由」を取り違えちゃっている輩が少なくない。つうかかなり多い。
その最たる例が、6月から頻発した犯行予告逮捕である。
逮捕者は「ここまで騒ぎになるとは思わなかった」「目立ちたかった」などという刹那的な理由を並び立てている。自分の言動がどのような結果を招くか、という想像すらしていない。
これは単に思考力の欠如ではなく、ネット特有の仮面性による責任意識の欠如が引き起こしたことなのである。
インターネットは、無数の参加者による仮面座談会のようなものである。相手の素性も顔もわからないし、また同時に自分の素性・顔が知られることも無い。だから、気軽に爆弾発言を投下してしまうのである。IPログを解析して所在地を割り出すことなど容易なのだから実社会で同様の行為をしたときよりも遥かに短時間で確実に露呈してしまうことなのに、なぜか「ばれやしないだろう」という思考が働くのだから理解できない。
しかも、こうした愚行は、インターネット上では遍く伝播する。すると、今までは一部の人間しか知りえなかった状況を、不特定多数の人間が知るようになったのである。もちろん、日本国内に留まらず、世界規模での話である。既存メディアでは限定的にしか伝え切れなかった(あるいは、恣意的に伝えようとしなかった)情報が、包括的かつ多角的に共有されるようになった。
恐らく、今回の北京オリンピックにしても、ネットが無かったらここまで実情が明るみに出ることも無かったろうし、昨今問題になっている韓国の反日運動にしても朝日や毎日あたりが戦犯意識を日本人に突きつけて嫌韓感情が芽生える土壌すら潰していただろう。
ネット出現直前まで、日本のジャーナリズムは太平洋戦争時の大本営発表となんら変わっていなかったのである。ソース信頼度のヒエラルキーの頂点には、新聞が鎮座しいてた。その版図を塗り替えたのがインターネット、換言すれば、インターネットを利用している名も無き不特定多数の情報発信者たちだったのである。
もはや、メディアの既得権は消失し、印象操作や世論誘導がし辛い状況にある。だが今度は、そういった工作の手段がネットに摩り替わりつつある。組織的な工作であっても、誰が発言したのか外部からでは分からないネット上においては、「世間一般的な見解」と捉えられてしまう危険性を孕んでいるのだ。
これは怖い。「嘘を嘘を見抜けない人間は、掲示板を使うことは難しい」と言ったのはひろゆきだが、それがネット全般に波及しつつある。両の眼で真贋を見極める、もののけ姫のアシタカの気概が必要になってきているのだ。
俺も気をつけなきゃいけない。もう、無料動画の文字に踊らされて、ワンクリック詐欺に引っかかることがないようにしなければ。
��注:2回引っかかってます。当然、金なんざ払う気すらありません)
強迫観念
あー、800文字怪談の新作書かなきゃ。
あー、HP用のも書かなきゃ。
あー、あっためてた長編にも着手しなきゃ。
あー、あそこのサイトの900万ヒット記念絵も描かなきゃ。
あー、そこのクリスマス企画の絵も……。
なんだかやらなきゃいかんことがてんこ盛りです。
つか、その前にタイヤ履き替えろよ、て話なんだけどね。
あー、HP用のも書かなきゃ。
あー、あっためてた長編にも着手しなきゃ。
あー、あそこのサイトの900万ヒット記念絵も描かなきゃ。
あー、そこのクリスマス企画の絵も……。
なんだかやらなきゃいかんことがてんこ盛りです。
つか、その前にタイヤ履き替えろよ、て話なんだけどね。