【ダビスタ96】セイウンスカイを再現してみた

 セイウンスカイ

言わずと知れた1998年クラシック世代の二冠馬である。
皐月賞では横山典Jに初のクラシックタイトルを獲らせ、ダービー4着後の休み明けに出走した京都大賞典ではメジロブライト以下古馬陣の向こうを張って堂々の逃げ切り、続く菊花賞は後続を惑わす巧妙な逃げで京都競馬場を青空にした。
通算成績は13戦7勝。1年半ぶりの復帰戦にして結果的に引退レースともなった2001年天皇賞・春を除く12戦で掲示板を確保した堅実派でもある。個人的には、98年クラシック世代の中で最も好きな馬だった。

ダビスタ96(以下、DS96)でこの稀代の逃げ馬を再現したくなったので、やってみた。
単に強い馬を作るのではなく、血統や毛色はもちろんのこと競走成績の再現も目指す。
(システム上、絶対に再現できないレースもあるがそれは後述する)

ダビスタ99であればフェイバリットエス(シスターミルがモデル)にシェリフズスターを種付けするだけの話なのだが、ダビスタ96が発売された当時セイウンスカイはまだ牧場で馴致の真っ最中だったうえにセイウンスカイが初仔だったため、当然ながらフェイバリットエスは登場しない。
そんなわけで、まずは母馬の生産から着手する必要がある。
とはいえ……。

この血統である。
DS96にはカーネルシンボリ産駒の肌馬が存在しないため、まずは祖母のアンジュレスイートから作らなければいけない。もちろん、種牡馬にカーネルシンボリも登場しないため、ここは同じパーソロン産駒&シンボリ牧場つながりのシンボリルドルフで代用する。
基礎牝馬はExclusive Native産駒のオレンジスクイーズを採用。本当は母父がエルバジェ系のExclusive Nativeの肌馬を使いたかったけど、残念ながらいなかったので。
ルドルフとの間に誕生した牝馬に今度はモガミを付け、さらに生まれた牝馬にミルジョージを付ければシスターミルの完成である。
そしてシェリフズスターを種付けすれば、念願のセイウンスカイが誕生する。


シェリフズスター ポッセ Forli
回復up
Aristophanes

Hyperion
SP 底+
Advocate
Bold Ruler
SP◎ ダート
Nasrullah
SP◎ 気難
Better Self
Kalamoun
ST 気難
ゼダーン
SP
Grey Sovereign
SP◎ 底+
Prince Bio
ダート 回復
Right Royal
ST
Owen Tudor
SP◎
Court Martial
SP
(シスターミル) ミルジョージ Mill Reef
ST 底+
Never Bend
SP◎
Nasrullah
SP◎ 気難
Princequillo
ダート 回復
Ragusa
Ribot
底+ 気難
Grey Sovereign
SP◎ 底+
モガミ Lyphard
SP
Northern Dance
r 底+
Lucky Debonair
SP
シンボリルドルフ
パーソロン
SP 底+
Exclusive Native

実に長く、いかにも厳しそうな道のりである。
まず3代続けて気性C種牡馬を付けるって時点でキツい。
代重ねの工程でスタミナをほぼ度外視して高スピード値を引くことに専念できる(付け加えれば、モガミを付けた際に面白い配合が成立する)と考えれば楽かもしれないけど、締めがやばくないかこれ。

ミルジョージを父に持つシスターミルが取りうるスタミナの最高値は62である。
(気性最高値60+ミルジョージの距離補正値2)
唯一の救いが、シェリフズスターの実績と安定がCである点。繁殖牝馬の能力値が低くても許容されはするものの、締めの時点で面白い配合は成立せずスタミナアップ要素もゼロ。菊花賞を勝ちなおかつ春天で勝ち負けレベルまで持っていかなければいけないので、この条件では少々心許ない。
しかし、無い物ねだりをしたところで始まらない。シェリフズスターの安定Cと、ナスルーラ・グレイソヴリンのインブリードでせめてスピードが跳ねるのを期待しつつ、あとは数撃ちゃ当たる方式で生産あるのみだ。

さて、まずは肌馬の生産である。
とりあえず気性55以上でスピード100以上を狙いつつ代を重ねる。
途中の工程は割愛。
数え切れない駄馬地獄を経て、ようやくシスターミルが完成した。 さすがに毛色(現実のシスターミルは栃栗毛)まで再現するのが面d……じゃなくて再現セイウンスカイには影響しないので妥協。
(やろうと思えば「栃栗毛のシスターミル」は再現可能である。初代配合の時点で栗毛の牝馬を生産し、次代で青鹿毛のモガミを種付けすることで低確率で栃栗毛が誕生する。あとはミルジョージとの配合で栃栗毛の牝馬が出るまで粘ればいいだけだが、手間がかかる割には……というのが正直な感想である)

あとはここにシェリフズスターを付ければいいのだが、
・とりあえずゲーム内の菊花賞くらいは勝てる能力(当然)
・去勢の必要がない程度の気性の牡馬(てかセン馬にしたらクラシックや天皇賞に出走できないし)
・芦毛(そりゃそうだ)
の三拍子が揃った産駒が生まれなければいけない。心折れそう。

シスターミルの子宮ぶっ壊れるんじゃねえかって数の生産の末に、どうにか納得できる、というかこれもう最終到達点だろという産駒が誕生する。

スピード115 スタミナ79 根性96 気性80。
これスプリンターじゃね?と思った方は、完全に毒されています。強豪馬生産じゃあるまいし、ゲーム内無双するには十分すぎてお釣りが来るほどの大当たりである。
特に勝負根性と気性の高さは魅力。セイウンスカイの再現では休養明けに勝利する必要があるレースが2つある(4歳の京都大賞典と5歳の日経賞)が、サブパラの高さがこの不利を補ってくれる。

ひとつネックなのがこの馬、超晩成ということ(つまりボーナス込みの最終的なスピードの最高値は119になる)。皐月賞を勝たなければいけないので、これはわりと痛い。戦績を再現する以上、レースに出しまくってスピードと気性を鍛える育成手段は使えない。強力なライバル馬と同年代にならないことを祈るばかりだ。

ともあれ準備は整った。いよいよ育成開始である。

普通であればデビュー前にゴリゴリスタミナと勝負根性を調教で鍛え、7月1週からレースに出してスピードと気性を伸ばすのがセオリーだが、先述の通り後半部分は今回使えない。セイウンスカイがデビューしたのは4歳になってからである。
デビューまでに十分な時間があるため、ひとまずスタミナと勝負根性はデビューの時点で能力限界まで鍛えられる。一方、スピードに関しては超晩成のフタが存在するため、芝調教は完全に無駄になる。スタミナの限界値が低いため、途中から併せ一杯調教で気性を伸ばせるのが救いか。

順調に育成は進み、迎えた4歳1月。
ここで問題が発生する。

まずはセイウンスカイの戦績を確認してほしい。

1998. 1. 5 中山 新馬 1着 徳吉孝士 芝1600 稍重 484kg
1.25 中山 ジュニアC 1着 徳吉孝士 芝2000 480kg
3. 8 中山 弥生賞(GII) 2着 徳吉孝士 芝2000 472kg
4.19 中山 皐月賞(GI) 1着 横山典弘 芝2000 472kg
6. 7 東京 日本ダービー(GI) 4着 横山典弘 芝2400 稍重 470kg
10.11 京都 京都大賞典(GII) 1着 横山典弘 芝2400 476kg
11. 8 京都 菊花賞(GI) 1着 横山典弘 芝3000 470kg
12.27 中山 有馬記念(GI) 4着 横山典弘 芝2500 480kg
1999. 3.28 中山 日経賞(GI) 1着 横山典弘 芝2500 稍重 476kg
5. 2 京都 天皇賞・春(GI) 3着 横山典弘 芝3200 474kg
8.22 札幌 札幌記念(GII) 1着 横山典弘 芝2000 482kg
10.31 東京

天皇賞・秋(GI)

5着 横山典弘 芝2000 480kg
2001. 4.29 京都 天皇賞・春(GI) 12着 横山典弘 芝3200 492kg

セイウンスカイのデビュー戦は、4歳1月第1週の「芝1600m」。
しかし、DS96では当該週に芝の新馬戦(=未勝利戦)が存在しない。早くも出鼻をくじかれる。
まさかROMの中身を書き換えるわけにもいかないので、ここはダート1800m戦で妥協することとする。ついでに言えば徳吉騎手もDS96には登場しないので、典弘を起用する。
幸い、ダート適性も2だったので一発でデビュー戦を快勝。続くジュニアカップも、典弘をカネアサジに取られたものの順当に勝利。2ヶ月後の弥生賞はウイニングチケットの後塵を拝したがきっちり2着は確保。

ここまでは順調。さて最初の難関、皐月賞である。
立ちはだかるのは弥生賞で顔を合わせたウイニングチケットのほか、アイネスフウジン&ミホノブルボンの逃げ馬コンビ。ハヤヒデ・ブライアン兄弟やトウカイテイオーがいなかったのが救いか。

何度もやり直しをさせられるんだろうなー、と覚悟していたが

わりとあっさり勝利。ミホノブルボンがイレ込むというラッキーに恵まれたのが大きかった。
ダービーは5回ほどのトライで4着に負けることに成功。なまじスピードと勝負根性が高いだけに、この先下手に成長するとわざと負けるほうが難しくなるかもしれない。

途中経過。
デビュー戦と3戦目までの騎手を除けば、レース、着順、騎手だけでなく、馬体重や馬場状態までトレースしている。
奇しくもこの再現馬のベスト体重は480kg。現実のセイウンスカイはこれより軽い体重で出走することが多かったので少々不安ではあるが、最も軽くて470kg。元値の高さで十分カバーできる範囲である。

3ヶ月半の休養を経て、京都大賞典に出走。間隔が空くことでイレ込みやすくなるのが気掛かりだったが杞憂に終わった。

 マックイーンを相手に3馬身差圧勝。菊花賞はもはや勝ったも同然である。

当然の権利だと言わんばかりにレコードで快勝。あと0.2秒遅いタイムなら完璧だったけど。
続く有馬記念は普通の状態で出走しちゃうと負けるのが大変なので、バテ気味に落とす。10回ほどのトライの末、どうにか4着に敗れることに成功した。

年が明けて5歳。緒戦は日経賞である。普通に走ればまず負けることはない。
問題は馬場状態である。なかなか稍重になってくれず、結局20回ほどやり直す羽目に。

現実のセイウンスカイを彷彿とさせる圧勝で日経賞を制覇。
続く天皇賞・春は負ける番……なんだけど、弱メンばかりで絶不調でも負けるのに一苦労する事態に陥ってしまう。

こんな面子にどうやって負けろっていうんだ。

普通に負けた。
現実にメイショウビトリアが春天勝ってたらドラマチックだったんだろうなあ。


5歳春までの途中経過。
あ、ちなみにスタミナ・勝負根性だけでなく、スピードも調教によって現時点の限界値に到達しています。
(この軽挙妄動のせいでのちのち苦労させられるのだが)

さて次走は札幌記念だが、ここで再び問題勃発である。
DS96が発売された当時の札幌記念はGIIIであり、しかも現在とは札幌と函館の開催時期が逆だったため、8月ではなく7月に施行されていた(函館記念は8月だった)。
時期を合わせようとすれば「函館記念」に出走しなければならず、
札幌記念に出走しようとすると「7月」に出走しなければいけない。

レースか時期か。

まあ、迷うまでもないんですけどね。
セイウンスカイの戦績表に「函館記念」があったら変でしょ。
というわけで、7月の札幌記念に出走させる。

レコードであっさり差し切り勝ち。
お次はぶっつけで天皇賞・秋。ここは5着に負ける番なので、間隔が空くのはちょうどいい。
どうでもいいけど、ベスト体重(480kg)で出走できるレースに限って負けなきゃいけないのってなんか理不尽。

レースに勝たずかつ負けすぎずを実現するのはこの面子ではなかなか厳しかったけれど、15回ほどでどうにか5着に敗れる。
さて、次のレースでいよいよ史実再現の最終戦である。

「1年半の休養明けで天皇賞・春に挑み、最下位に敗れる」

最後にして最難関のミッションである。
何が難しいかって、この「最下位に敗れる」の箇所。
スタミナと勝負根性を限界まで上げてしまったため、絶不調にしてもなかなか負けてくれない。それどころか、圧勝してしまうこともしばしばである。
ここは史実通りわざと故障させてしまおうかとも思ったけれど、壊れるまで併せ一杯もなかなかダルい。

7歳5月まで牧場で放置してから第1週に入厩。
幸い、本賞金はそれほど高くなっていないため、同週の谷川岳Sに登録することができる。
つまり、谷川岳Sと天皇賞・春の出走登録を繰り返すことで、調教することなく新潟⇔美浦間の輸送だけで馬体重を削る芸当が可能となる。馬運車の運転手と交通費が大変なことになりそうだけど知ったこっちゃない。
あとは試行回数を増やして最下位になるだけである。

そして5月1週を繰り返すことおよそ50回。

ついにその瞬間が訪れる。


残り1000mを待たずに早くもずるずると後退。
故障じゃなければこれは……!

 あ、こっちじゃねーわ。

  

無事に最終ミッション達成。てかまたメイショウビトリア勝ってんのかよ。


 


これにてセイウンスカイ再現チャレンジ、全行程完了。くぅ疲。

さて、ここで企画を締めてもよかったのだが、どうせならきっちり走らせてあげて、格好をつけさせてあげようと思う。
幸いなことに、春天の時点ではまだX月に到達していなかったため、あと半年から1年は能力を発揮できそうである。

サクッと宝塚から有馬までGI4連勝。スピード119&勝負根性96もあれば、これくらは造作もない。

史実では2度跳ね返された春の盾もあっさり奪取。

仕上げをミスって最下位になったのはご愛嬌。

そして殿堂入り。セイウンスカイよ、やはりお前は強かった。

【おまけ】
7歳春の天皇賞のあとで調整したバージョンのBCパスはこちら。

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