媒体に投影された俺は俺じゃないわけで。

 通い慣れた通勤路に、猫の死骸を見つけた。
 真っ二つに断ち切られた胴からは内臓が零れ落ち、アスファルトを赤黒く濡らしていた。
 車のタイヤに身を引きちぎられ、心臓が鼓動を止めるまでの間に、この猫に何か考える時間はあったのだろうか。
 自らの亡骸が晒される事に、憤りと悲哀を感じたのだろうか。
 無論、猫が斯様な思案をしていたとは考えていない。考える能力が無かったというだけではない。咄嗟に訪れた死を認識する暇も、また常日頃死を見つめる機会が無かった。そういうことだ。

 閑話休題。

 俺は、写真やビデオカメラに収められた自分の姿や、何がしかのメディアに録音された自分の声を聞くのが嫌いだ。旅行先で撮ったビデオの上映会などが催されると、そそくさと退席するくらい嫌いだ。
 さらに言えば、自分の肉体が確かにあった痕跡が、目に見える形で残るのが嫌いなのだ。自分が存在していた証拠、ではない。もしそこまで含まれるのなら、俺はこうして駄文や落書きを世に晒していたりはせず、山奥で霞を喰いながら生きているに違いない。
 いっそ、死んだ後の亡骸も、跡形も無く消し去って欲しいくらいだ。
 土葬はまずアウトだ。土の中で不可視とはいえ、微生物に自分の抜け殻が分解されていくのは堪えられない。
 火葬にしても、焼きあがった俺の骨を坊主が箸でいじくりまわして
「ほら、これがのど仏ですよ。仏様があぐらをかいて座っているような形だから、この名が付いてるんですよ。それにしても、綺麗に残ってますね」
などと説教するのも嫌だ。俺の骨はレゴブロックじゃない。
 
 そんなわけで、理想の葬られ方を考えてみた。ついでだから、理想の葬式も考えてみた。

 灰色の厚い雲に覆われた空は、今にも雨が降り出しそうで、あたかも故人の死を悼み悲しんでいるかのように見えた。
 斎場はもうもうと紫煙に包まれていた。参列者は誰一人として喫煙していない。煙は焼香台から立ち上り、やがて形を崩して拡散し、斎場を白く包み込んでいた。焼香盤には、ほぐされたマルボロの葉が詰め込まれていて、その上にはタバコが灰となって積もり重なっている。
 本来ならばあるはずの読経の替わりに、Zilchの「Space Monky Punks From Japan」のギターソロが大音量で流れている。
 いずれも、故人が生前に望んだ葬儀形式である。
 祭壇には、在りし日の故人の遺影が掲げられている。もっとも、写真を嫌う性格だったため、免許証から取り込んだ顔写真を使ったハメコミ合成を使用しており、顔と喪服のピントが合っておらず、かなりちぐはぐな印象を受ける。
 参列者には椅子も座布団も用意されていない。オールスタンディグ形式である。神妙そうにしているものは居ない。号泣する女の姿も見えるが、金を出して雇った「泣き女」であるのは周知なので放置されている。一応のムード作りは必要なのだ。
 喪主も僧侶もいない葬儀は、誰かが「そろそろ行かね?」と言い出した頃にダラダラと終わる。参列者は棺を押して次の会場へと向かう。棺にはキャスターが取り付けられている。何事も合理性が重要だ。
 棺を中心とした一行は、河原へとたどり着く。空は相変わらずの曇天だが、所々虫食いのように晴れ間が覗いている。
 予めすり鉢状に掘り込んだ地面の中心に棺が運び込まれる。既に爆薬が等間隔で配置されており、かなり遠くまで導火線が伸びている。
 棺の中には、遺品と一緒に爆薬が詰め込まれている。
「故人のお顔が見られるのはこれが最後です」
とは言っても、爆薬だらけで顔なんざまるで見えない。最早、何を吹き飛ばすのかすら分からない状況である。
 参列者は遠巻きになって、「これから」を見守る。
 スイッチで一気に、などと無粋な真似はしない。導火線に火が入る。
 火花が最初の爆薬に届くまでの束の間、参列者達は合掌して冥福を祈った。中にはデジカメを構えている者もいるが、それを咎める者はいない。好きなように、「その瞬間」を待てばいいのだ。
 火がすり鉢の縁の向こうに消えた次の瞬間、破裂音と共に最初の爆発が発生した。
 間を置かずに、配置された火薬に次々と誘爆し、轟音と共に巨大な爆炎が天を衝いた。
 参列者から喝采が巻き起こる。ブラボー。よく見れば先程の「泣き女」も胸をはだけて奇声を上げている。個人的嗜好とビジネスは別物だけど、もう少し空気を読んで欲しいものだ。
 やや時間を置いて安全であることを確認し、参列者は爆心へ向かう。まさに木っ端微塵。故人の亡骸も棺も遺品も、跡形も無く吹き飛んでいる。
 これぞまさに、故人が望んだ「爆葬」の理想形である。
 黒ずんだ地面の上に土が被せられ、元通り平坦にならしていく。
「俺に墓標はいらない」
というどこぞの伝承者のような台詞を吐いた故人の遺志を尊重し、処理が終わると何事も無かったかのように参列者達は三々五々散っていく。
 午後2時。雲の切れ目からは弱弱しく秋の日差しが漏れ差していた。

 というのが理想なのだよ、と知人に力説したら「安心しろ、ゴミ処理場の焼却炉に放り込んでやるよ」とありがたい言葉を頂戴した。
 俺の扱いは、路上でくたばった犬猫と同等のようである。夢も希望もあったもんじゃねえ。

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