人体の不思議展 ふたたび

新潟で「人体の不思議展」が開催されるのは5年振りである。
「夏休みももう終わったし」と思い、再び会場に足を運んでみた。
前回のレビューはコチラ

今回、標本を一新しての展示、ということだったが、「こいつ、前にも見た覚えあるぞ」という標本もちらりほらり。
頭部は矢状面切断、頚部から下は水平面切断という「CTスキャン標本」は記憶にあるし、血管だけを抽出した標本もあった。
やたら肺が黒ずんだ標本だらけで「これは喫煙者に対する脅しか?」と思ったのも前回同様だ。



どれもこれもが、かつては人間としての生活を営んでいた者たちの残骸だというのに、生理的嫌悪感が湧いてこないのは、普段見ることができない人間の内部に触れることができることに対する好奇心の他にもう一つ要因があるように思う。
それは、皮膚、である。
言うまでもなく人間の身体の中で最大であり、日常的に目にすることができる器官だ。
プレストミック標本は、ほぼ例外なく皮膚が取り除かれ、筋肉や内臓、骨、神経、血管が顕になっている。
非日常的な容貌が、不快感を抱かせる余地を奪っているように思う。
それが頭に浮かんだのは、会場に展示されていたいくつかの標本を見た時である。
入ってすぐの場所に展示されていた標本の傍には、除去された皮膚が脱ぎ捨てられた着ぐるみよろしく、前後に分けられた状態でトラスに引っ掛けてあった。側面を一周するようにメスを入れて剥がされたのだろう。瞼や唇、爪などがそっくり残されていた。
次に目にしたのが、所々を骨を残した状態で輪切りにされた標本。指も同様の作りになっており、こちらも老人特有の指のシワやシミ、爪がはっきりと残っている。
実物標本という異形の中に紛れ込んだ日常的存在によって、目の前の物体がかつて人間だったということを実感させられたのだ。

そうだよなあ、やっぱり人間だったんだよなあ。
そう考えて見上げると、見栄えがするように装飾を施した眼球がこっちを見た、気がした。
いやいやまさかね。

今回は身体検査はやらずに退場。1回300円とか、どんだけ金を巻き上げるきだよ主催者。
あと、胎児の展示コーナーで
「あ、かわいー!」
「この5ヶ月の胎児、ストラップに欲しー!」
「けどこれ、さすがに大きすぎない?」
などと会話を交わしているおねえちゃんたちのぶっ飛びっぷりに吹きそうになった。
こういうのって、女のほうが耐性あるのかね。そういや知り合いの女性も「人体の不思議展見たら、焼肉食いたくなった」て言ってたし。

ああ、そうそう。生殖器コーナーの標本は、予告通り一新されていました。
それを瞬時に判断できる俺も俺で問題がある気がする。

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