ライブハウス「東京ドーム」へようこそ!

既にあちこちで報じられている、6/11開催予定の氷室のチャリティライブ。
BOΦWY解散後初となる、「全曲」BOΦWYナンバーを演奏という、ファン待望の内容である。
ちなみに、スポットでBOΦWYのナンバーを演奏したことはあったし、ベストアルバムには数曲セルフカバーという形でBOΦWYの曲が収録されている)



BOΦWYに始めた俺が触れたのは、包茎チンコをぶらさげ、10年後にはネット上で汚れキャラとして定着することなど微塵も想像しなかった、今よりはちょっと感受性が豊かなガキンチョの頃だった。
スピーカーから流れる音に、完全に心を持って行かれた。
「PSYCHOPATH」を吹き込んだテープをウォークマンにセットして、「FANTASTIC STORY」を聴きながら夜明け前の街中をふらつき回ったこともある。今でもその曲を聴くと、初春の朝の冷たい空気と、紺と朱が混じり合った暁天を思い出す。
邦楽洋楽ジャンルを問わず音楽を聴き漁り、ギターを始めたのも、BOΦWYが切掛だ。
俺の中の新しい扉を開いてくれ、今なおお気に入りのミュージシャンの域を超えた「別格」として俺の中に存在しているバンドなのである。

それだけに、今回のライブには注目せざるを得ない。50歳の氷室が、27歳の頃の歌を唄うのであるから。
そして、当然の流れのように巷では「ぜひ再結成を!」の声がちらほらと上がっている。

呼応するように、元メンバーからの談話が寄せられている。
ライブそのものに関しては、概ね好意的に捉えているようだが、問題は「氷室がソロで演る」というところにあるようだ。
まこっちゃんは「おう、面白そうじゃねえか。がんがんやったれ」といった趣きだが、ヒットマン松井とクレイジー布袋は「でも…」と続けている。
両者にあった想い。それは、「なぜ再結成して演奏しよう、と声をかけてくれなかったのか」という遺憾の意である。
それは往年のファンにしても同様だろう。
ただの一夜でもいい。
またあの4人のギグを聴きたい。
俺も、このニュースを聞くまではこの意見に賛同していた。

しかし、実現こそしなかったがその可能性が考えられるようになった今、ちょっと心境が揺らいでいる。
確かに、観てみたい。恐らくは数分でソールドアウト確実だろうが、チケット争奪戦に参加してでも観たい、という気持ちは残っている。
その一方で、「終焉した伝説は伝説のまま残したい」という、観たくないという気持ちも湧いている。
23年前に止まった時計の針を僅かとはいえ進めるのは、野暮ではないだろうか。

かつて南米で栄華を極めたインカ帝国の都クスコには、今なお当時の石垣が現存している。
加工が難しい閃緑岩を、ときに矩形に、ときに不定形で切り出し、カミソリすら通さないと形容されるほどぴったりと嵌めこまれている。岩の形状の法則性の無さは、耐震性を考慮したためという説もあるが、真相はいまだ分かっていない。ともあれ、スペインに征服されて、スペイン式の建物がその上に築かれ数世紀の年月を経てもなお往時の姿を留めていることから、極めて高い完成度を誇っていることが分かる。
石垣を構成するブロックは、加工され積み上げられ接着されることで、石垣としての存在を許される。
このブロックを取り外して、何年も、何十年も、地面を転がし続けたらどうなるだろうか。
硬度が高い閃緑岩とはいえ、永い年月の中で絶えず摩擦を加えていれば、角は取れて磨耗するだろうし、転がした衝撃でひび割れ欠けることだってあるかもしれない。
行脚を経て石垣に戻されたブロックは、おそらくは元の通り整然と嵌りはしないだろう。他のブロックとの間にいびつな隙間を作り出すに違いない。かつて石垣に介在した計算された調和は、永久に失われることとなるだろう。

23年という月日は長い。
なんといっても、オギャーと生まれてきた子どもがすくすく成長して性徴期を迎え、ボーボーに毛を生やした股間にぶら下がるチンコもいつしかズル剥けになり、入社間もなく女の先輩に誑かされて酔った勢いで「先輩の中、あったかいナリー……」という局面を迎えるまでの時間である。転がした閃緑岩もそりゃあ丸くもなるってもんだ。
円熟、といえば聞こえはいいが、換言すれば変貌したということである。
BOΦWYとして活動していた頃とは、表現手法も、音楽スタンスも、楽曲の指向性もガラっと変わっている。
当時BOΦWYがあれだけの支持を受けていたのは、シーンの絶頂に上り詰めながらもまだ「原石」としてのテイストを色濃く残していたことによって生み出されたグルーヴがあったからだと思う。ざくっとカットされ、一つの形になるように組み上げられたからこそ得られた融合性。ブリリアントカットを経て各人が各人のスタンスを得た今、再び隙間のない一つの形となりえるだろうか。
演者は確かにオリジナルメンバーだし、弾きだされるメロディも、紛れもなくBOΦWYのそれなのかもしれない。
しかし、あの当時でなければ出し得なかった疾走感までもが蘇るのか、と問われれば、疑問符を付けざるをえない。
1988年の東京ドームを最後に音楽シーンから姿を消したBOΦWYという存在は、当時の姿のままそっくりとは蘇らないだろう。

LASTGIGSで氷室は「俺達は伝説になんかならねーぞ」という言葉を残した。
それは、これから先も続く自己流の構築の始まりと、6年間の熱狂の終焉宣言であった。
そこまで言い切った氷室が、一度止まった時計のネジを再び巻くだろうか。氷室の中の美学が、それを許さないように思える。

とはいえ、ライブそのものは興味があり、食指も動く。惜しむらくは仕事のスケジュールが合いそうになく、チケットを取れても無駄になりそうなため断念せざるを得ないという点だ。
恐らくライブは、後日発売される(のだろうか?)DVDで堪能することになりそうだ。
これで氷室が予定を変更してBOΦWYが一夜限りの再結成となったら……ここまで書いておいてなんだが、やっぱり激しく後悔するんだろうなあ、俺。

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