アニヴァーサリー

 気付いたらサイト開設4周年過ぎてやがりましたよ。
 来訪してくださったのべ14000人強の方々に感謝ですよ。
 つかアクセス数少ないなオイ。2ちゃんねるの一日の訪問数の100分の1にも満たねぇよ。山奥に「ふれあいコートジボアール館」とか建造したほうが、よっぽど客入るんじゃねーの、と。つか何展示してるんだコートジボアール館。ちょっと興味あるじゃねえか。

 そろそろ、超-1に送った作品の掲載と自己評でもうpしようかと思ったけど、メンドイんで後日に。て、こんなんだから人来ねえんだよ。わかんねえかなこのバカは。

 ディープインパクトが来年も現役続行、との噂が流れてる模様。
 普通に考えれば、既に功成り名遂げているわけであり、評価は半ば固定化されていると思う(今後、高松宮記念-スプリンターズS連覇とか、安田記念を1分30秒台で圧勝とかやっちゃったら話は別だろうけど、実現性はかなり乏しいわけで)。
 この先の戦績が第二の仕事(つまり種牡馬生活)に大きく影響しないであろうことを考えると、リスクを負って現役を続行するくらいなら、とっとと精液迸らせてたほうが得じゃないか、と考えるのが一般的じゃなかろうか。
 仮に現役続行するなら、有馬記念を辞退して金杯に出走とか、別な方向でセンセーショナルなことをやってくれなきゃつまらん。つか何kg背負うんだろう、金杯で。ワクテカ。

 タバコが切れたので今日はこの辺で。

after the fever

Prix de l'Arc de Triomphe Lucien Barriere (Group 1)
Longchamp 1m4f

1 Rail Link (GB) 4 A Fabre 3 8-11 S Pasquier
2 nk Pride 5 A De Royer-Dupre 6 9-2 C-P Lemaire
3 ½ Deep Impact (JPN) 2 Y Ikee 4 9-5 Y Take
4 2½ Hurricane Run (IRE) 1 A Fabre 4 9-5 K Fallon
5 2 Best Name (GB) 3 Robert Collet 3 8-11 O Peslier
6 snk Irish Wells 7 F Rohaut 3 8-11 D Boeuf
7 4 Sixties Icon (GB) 8 J Noseda 3 8-11 L Dettori
8 1½ Shirocco (GER) 6 A Fabre 5 9-5 C Soumillon

8 ran TIME 2m 31.70s (slow by 0.20s) TOTAL SP 122%


 というわけで、今年の凱旋門賞は3歳馬レイルリンクが制した。戦前では古馬3強対決と言われながら、終わってみればやはり斤量に恵まれた3歳馬の勝利。レイルリンクがアレッジド級に育つのか、はたまたサガミックス級で終わるのか。答えは来シーズンに持ち越されることとなった。
 2着には紅一点のプライドが鋭く差し込んできた。牝馬にはややきつい58kgを背負いながらも勝馬をクビ差まで追い詰めた末脚は立派の一言。サンクルー大賞典でハリケーンランを破ったのはフロックではなかった、というところか。

 さて、ディープインパクト。七度目の正直は成らなかった。
 ディープを取り巻くディスアドバンテージは戦前から囁かれていた。だが、ローテーションについてはともかくとして、他の要素は敗北に対する決定的要因にはなりえない。
 当日のロンシャンは馬場はGood、地盤はFirmでかなり状態がよく、他のレースでは速いタイムが出ていた(2歳の1400mのGIが1分18秒台で決着していた。これは日本レコードより速い時計である)。凱旋門賞は当日の全レースの中で平均ラップが最も遅く、結果としてあのような遅いタイムでの決着となった。馬場が重かったわけでは、決してない。
 3歳馬との斤量差は、無視できない存在だった。しかし、古馬で凱旋門賞を勝った馬は皆無ではない。十分勝てる負担重量なのだ。慣れない馬場との相乗効果、というならば、アウェーでかつ59.5kgを背負って勝利を収めたリボーやトニービンはどう説明するのか。さらに言えば、ディープを後方から抜いて2着に入線したプライドも古馬の負担重量である。

��余談だが、某SNSで「59.5kgはきつい。凱旋門もハンデじゃなくて別定にすればいいのに」というレスがあった。
 凱旋門賞はハンデ戦ではなく、馬齢による定量負担である。ハンデ戦だったら、斤量差はこんなものでは済まないだろう。また、別定戦とは「それまでの戦績に応じて負担重量を決めるレース」であって、全馬が同量を背負うという意味ではない。
 そもそも、別定などにしたら何を基準に負担重量を決めろというのか。レースの格による負担にしても、ディープは国際GIである宝塚記念を勝っているので全く意味がないし、他の馬も大半がGI馬だから、ただいたずらに斤量が増えるだけの話である。賞金による負担だとしたら、世界トップクラスの高額賞金国からの参戦馬は圧倒的に不利だ。
 軽い斤量の3歳馬が有利だと喚くならば、昨年の有馬記念ではディープを破ったハーツクライのほうが重い斤量を背負っている。もう少し考えてから発言してもらいたい)

 騎乗は「あれでよかった」とする声と「もうちょっと何とかならなかったのか」とする声とで意見が二分されている。俺は後者派だ。
 ややもっさり気味のスタートながらも先団に取り付いてしまい、武が手綱を引く場面もあった。終始馬群のど真ん中でレースを進めるのは菊花賞で経験済みだったにしても、ちぐはぐな印象があった。
 だからこそ、フォルスストレートの出口付近で早々に先頭に並びかけて押し切ってしまおうとしたのはいただけないように思えた。追い出しをもう少し遅らせただけで、結果は変わったのではないか。実況席で岡部元騎手が「まだまだ、まだ」と発してしまったのも分かる気がする。菊花賞はそれで押し切れても、凱旋門賞では通用しなかった。
 とまあ、敗因に関して今更ああだこうだ言ったところで結果論でしかない。レースは既に確定し、ディープは3着という結果が手元に残っただけだ。強い馬はあらゆる条件を克服して先頭でゴールする馬である。ディープは速い馬だ。しかし、初めての欧州の舞台と負担重量に慣れず、展開に応じた自在性あるレース運びを出来なかった。それだけである。ぐだぐだと敗因要素を並べ立てて「今回の負けは、力負けじゃない」と呪詛のように繰り返し続けるファンに対して「惜しくても負けは負け。綺麗事を言ってもしょうがない」と結果を真摯に受け止めたコメントをした池江調教師は潔い。最も悔しい思いをした一人だろうに。

 今年の凱旋門賞は、レースそのものより日本人ファンの熱狂振りが強く印象に残った。良い意味ではなく悪い意味で。
 マスメディアが煽動した結果、ディープインパクトは競馬界を超えたカリスマ的偶像として日本に君臨した。だがそれは、ミーハーなファンを徒に増やしたにすぎなかった。
 観戦ツアーは、ノリ的にはサッカーのワールドカップのそれと大差ないように思えた。馬券を買い漁った結果、単勝オッズを1.1倍。一体いくら買ったんだよお前らは、と問いたい。
 最後の直線では日本の競馬よろしく怒号に近い歓声を張り上げ、ディープが破れたのを知ると悲鳴が飛び交う。明らかにロンシャンの風景から浮いていた。
 パリジェンヌたちの目には、遠く島国からやってきた応援客がどう映ったのだろうか。ある者は眉をひそめ、またある者は冷笑を浴びせたのではなかろうか。いずれにせよ「Sports of Kings(貴族達のスポーツ)」という概念は当てはまらないだろう。
 ここまで凱旋門賞で熱狂したのは、日本人くらいなものだろう。自国の最強馬が世界に挑むのだから興奮するのはわかるが、それでもちと加熱しすぎの感はあった。これが逆ならどうだろう。欧州最強馬がBCクラシックに挑む、となった時に、当地のファンはここまで入れ込むだろうか。

 第85回凱旋門賞は、日本現役最強馬が3着に破れた、という事実に加えて、日本人の陳腐なナショナリズムをも露呈することとなった。競馬技術は世界に肩を並べても、競馬文化はまだまだ国内止まり、といったところか。

 ディープインパクトの今後は未定である。
 頭を掠めるのは、この後に控えているジャパンカップ、有馬記念をディープが連勝しても、今までのような熱狂的な声は、数段低いトーンとなるのではないか、という考え。
 両レースを圧勝しても「慣れてる国内だとやっぱ強いねえ」「所詮は内弁慶か」と囁かれるのではないだろうか、というのは俺の杞憂に終わるのだろうか。
 英雄の神話は絶頂を過ぎ、あとは終焉へと落ち込むだけである。だが馬は馬、なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 言いたい放題だね、俺。

凱旋門賞

 世界最高峰のレース「凱旋門賞」がいよいよ三日後に迫った。
 当初出走予定だった英ダービー馬サーパーシー、ヴェルメイユ賞馬マンデシャが今週になって回避を表明したことで、最終的には史上2番目の小頭数となる8頭立てでレースは行われる模様である。
 常に定員超過状態の日本のGIと異なり、見込みがなければ他のレースへ回る潔さがいかにも欧州流、といったところか。記念出走や、「あわよくば上位に食い込んで賞金を持ってくるのでは」というスケベ根性丸出しの陣営が少数派なのが良い。だがそれは裏を返せば、出走するのは淘汰を経て舞台に残った馬達が揃ったということであり(明らかに二枚も三枚も落ちる馬は、同厩舎の有力馬のラビット役)、紛れが少なく実力が如実に結果に反映される。ファンにしてみれば興をそそられるであろうが、出走馬陣営にしてみれば恐ろしいことだろう。

 今年の凱旋門賞は、ディープインパクトが出走するとあって、競馬サークル外でも関心が高まっている。三冠馬の海外遠征はシンボリルドルフ以来20年ぶり。そのルドルフが目標としながら出走すら叶わなかった凱旋門賞であることが何やら因縁めいているように思える。
 確かにディープインパクトの実力の高さは衆目の一致するところである。が、付き纏う不安要素は連日そこかしこで取沙汰されている。
 まず一つにローテーション。ディープインパクトはこれまで間隔を開けて使われ、結果を出してきた馬である。しかし今回は宝塚記念以来3ヶ月ぶりの実戦だ。逐一報告される調教過程は「順調」「絶好調」を連呼しているが、調子は絶頂でも勝負勘が戻っているかどうかとなると話は別だ。
 少なくとも過去20年の間で、中3ヶ月で凱旋門賞を制した馬はゼロである(ラムタラにしても、キングジョージからは中2ヶ月)。約40年前まで遡ったところでようやく該当馬に行き着くが、その馬は20世紀最強と謳われたシーバードである。その領域にディープインパクトがたどり着いたかどうかについては何とも言えない。
 ちなみに、フォア賞→凱旋門賞の連覇はアレッジド以来途絶えた「鬼門」とされているが、フォア賞負け→凱旋門制覇は1992年にスーボティカが達成しているので、ハリケーンランとシロッコにとって向かい風、というわけでもなさそうである。

 次に問題なのが、馬場状態。どうやらおフランスではここのところ連日夜間に降雨があるようで、レース当日のロンシャンがパンパンの良馬場になる可能性は高くないだろう。
「ディープは重の宝塚を圧勝したから大丈夫だろう」という声もある。しかし、日本の重馬場とあちらの重馬場ではかなり事情が違う。クッションが効いた地盤は水を吸うとさらに柔らかくなり、球節が埋まるほどにまで悪化するという。つまり、レースで勝ち切るにはさらなる馬力が必要とされるのである。ディープインパクトは切れる末脚を長く使える馬だから直線半ばで売り切れる心配はないにしても、身上である切れ味を活かすことなく終わる(武豊流に言えば「飛ばなかった」)のではないだろうか。

 とは言え、馬場条件は各馬一緒。となるとレース結果を占う上で最重要となるファクターは、やはり相手関係か。

 下馬評では、今年の凱旋門賞は古馬ビッグ3による三つ巴、となっており、ブックメーカーのオッズにもそれは如実に表れている。
 現在のところ一番人気は、ディフェンディングチャンピオンであるハリケーンラン。通算成績は11戦8勝2着3回の連対率100%。前走のフォア賞はシロッコの後塵を拝したものの、明らかに本番前の叩き台で力不足を露呈しての敗戦ではない印象である。主な勝鞍と照らし合わせてみるに、クラシックディスタンスへの適正の高さは全出走馬随一である点からも、王座防衛の可能性は決して低くない。
 父が重の鬼モンジュー(この馬もまた凱旋門賞馬)である点から、重馬場も特に問題が無さそうである。しかし気になるのが、この馬が父親と非常に似通った道程を歩んでいる点。父モンジューもまた春にはフランス・アイルランドの両ダービーで主役を張り、秋には凱旋門賞で王座を戴冠。明けて翌年はタターソルズGC快勝→英国で1戦(コロネーションC1着)→キングジョージ制覇、という道のりを経て凱旋門連覇に挑んだものの、4着に終わる。「モンジューの劣化コピー」とまで揶揄される当馬、この尻すぼみっぷりまで継承してしまうのではないかという危惧もある。

 もう1頭の有力馬シロッコは今期負け無しの3連勝。正確に言えば、昨年秋のBCターフから4連勝中である。5歳にしてなお盛んであることから晩成馬のようにも思われるが、3歳春にはドイツダービーを圧勝している。生まれ持った高い素質と成長力を兼ね備えた馬であることが分かるだろう。勢いで言えばハリケーンランよりはこちらかもしれない。良重兼用である点も怖いところだ。

 だが、過去10年で古馬になって凱旋門賞を制したのはわずかに2頭である。これはひとえに、3歳馬と古馬との斤量差に依るところが大きい。古馬59.5kgに対し、3歳馬は56kgで出走できる。強力な3歳馬にとって、3.5kgはハンデもらいどころか強力なアドバンテージとなって作用する。
��ディープインパクトも当然59.5kgを背負うことになる。軽量馬であるディープインパクトにとって、これがどう働くのか…)
 では今年の3歳馬はどうか、というとあまりぱっとしないというのが正直な感想か。英ダービー馬サーパーシーは冒頭で述べたとおり、筋肉痛により回避。愛ダービー馬ディラントーマスは愛チャンピオンS勝利後に早々と陣営が凱旋門賞回避を表明、仏ダービー馬ダルシもまた凱旋門賞を回避したことにより、今年のダービー馬の出走はゼロという珍しいケースになった。さらに言えば、英愛オークス馬アレクサンドローヴァも回避したことで、今年のクラシック馬で出走するのはセントレジャー馬シックスティーズアイコン1頭だけである。しかし、この馬がこのメンツに混じって好走するかどうかは、難しいといったところだろう。
 その3歳馬の筆頭と目されているのが、パリ大賞の覇者レイルリンク。ここまで6戦4勝2着1回。前走は凱旋門賞への登竜門とされるニエル賞を快勝し、気を吐いている。が、この馬にしても裏街道を歩き続けてきており、実力に関しては白とも黒とも言いがたい未知数。アレッジド級か否かの試金石、といったところか。

 こうした要素を踏まえ、今回ディープインパクトが凱旋門賞を制する確率は厳しく30%強、と予想してみた。ハリケーンランとシロッコのデッドヒートに、直線鋭く差し込むもわずかに届かず2着まで、と想像してみたがどうだろうか。

 今年の凱旋門賞は、ディープインパクトのみならず、日本競馬全体にとってのターニングポイントとなるだろう。ここでもしディープがなす術もなく敗れ去ったとしたら、「この大駒をもってしても世界の壁は破れないのか」といった絶望感が漂い、これまでに築き上げてきた矜持と海外への意欲が消沈してしまうのでないか、という不安がある。
 逆に勝ちでもしたら、お祭りムードの狂喜の後に、日本競馬が世界に肩を並べられる存在になったという自信が生まれ、なお海外遠征が活性化するのでは……とも思ったけど、「燃え尽き症候群」を発症するのでは、という危惧もまた、ある。
 いずれにせよ、10月1日はロンシャンから目が離せなそうである。

 しかし、ここまで言っておきながら、アイリッシュウェルズが圧勝しちゃって2着にプライド、とかなったりしたら腰砕けになるんだろうなあ。それはそれで面白いけど。

カオス

 知人に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を貸そうと思い、はてどこに仕舞ったのかと部屋を見回してみた。

bokkoshiroom.jpg


 なんじゃこりゃ。
 人間の住処とはとても思えない。
 屋根裏や物置のほうがよっぽど片付いてる気がするぞこれ。

 なんてかもう、カオス。そう一言でこの状況を表現するなら、カオス以外にありえない。
 服の上に本が積み重ねられ、さらにその上に服、さらにさらにその上に本の山という、何だかよく分からないウェハースが形成されている。
 のみならず、ゴミがひどすぎ。ほら、よくあるじゃないですか異常者の住処の描写。カップラーメンの器の中に変色して泡が立ってる汁が残ってる、とか。まさにあの状態。新しい生命が生まれててもおかしくない。
 漁ってみると、出てくるわ出てくるわ。脱ぎちらかした靴下は基本として、飲みかけのコーヒーは上澄み液と沈殿物が分離しちゃってるし、何年前に貰ったんだか分からない(恐らく結婚式の返礼品)石鹸だとか、ずっと昔に交換したメモリだとか。部屋が丸ごと思い出の宝石箱である。て、やだよそんな宝石箱。
 こりゃヤバイね。物臭にもほどがある。なんとかせねば。

 え、本はどうしたって?

 見つかるわけないだろ、こんな状態で! 

媒体に投影された俺は俺じゃないわけで。

 通い慣れた通勤路に、猫の死骸を見つけた。
 真っ二つに断ち切られた胴からは内臓が零れ落ち、アスファルトを赤黒く濡らしていた。
 車のタイヤに身を引きちぎられ、心臓が鼓動を止めるまでの間に、この猫に何か考える時間はあったのだろうか。
 自らの亡骸が晒される事に、憤りと悲哀を感じたのだろうか。
 無論、猫が斯様な思案をしていたとは考えていない。考える能力が無かったというだけではない。咄嗟に訪れた死を認識する暇も、また常日頃死を見つめる機会が無かった。そういうことだ。

 閑話休題。

 俺は、写真やビデオカメラに収められた自分の姿や、何がしかのメディアに録音された自分の声を聞くのが嫌いだ。旅行先で撮ったビデオの上映会などが催されると、そそくさと退席するくらい嫌いだ。
 さらに言えば、自分の肉体が確かにあった痕跡が、目に見える形で残るのが嫌いなのだ。自分が存在していた証拠、ではない。もしそこまで含まれるのなら、俺はこうして駄文や落書きを世に晒していたりはせず、山奥で霞を喰いながら生きているに違いない。
 いっそ、死んだ後の亡骸も、跡形も無く消し去って欲しいくらいだ。
 土葬はまずアウトだ。土の中で不可視とはいえ、微生物に自分の抜け殻が分解されていくのは堪えられない。
 火葬にしても、焼きあがった俺の骨を坊主が箸でいじくりまわして
「ほら、これがのど仏ですよ。仏様があぐらをかいて座っているような形だから、この名が付いてるんですよ。それにしても、綺麗に残ってますね」
などと説教するのも嫌だ。俺の骨はレゴブロックじゃない。
 
 そんなわけで、理想の葬られ方を考えてみた。ついでだから、理想の葬式も考えてみた。

 灰色の厚い雲に覆われた空は、今にも雨が降り出しそうで、あたかも故人の死を悼み悲しんでいるかのように見えた。
 斎場はもうもうと紫煙に包まれていた。参列者は誰一人として喫煙していない。煙は焼香台から立ち上り、やがて形を崩して拡散し、斎場を白く包み込んでいた。焼香盤には、ほぐされたマルボロの葉が詰め込まれていて、その上にはタバコが灰となって積もり重なっている。
 本来ならばあるはずの読経の替わりに、Zilchの「Space Monky Punks From Japan」のギターソロが大音量で流れている。
 いずれも、故人が生前に望んだ葬儀形式である。
 祭壇には、在りし日の故人の遺影が掲げられている。もっとも、写真を嫌う性格だったため、免許証から取り込んだ顔写真を使ったハメコミ合成を使用しており、顔と喪服のピントが合っておらず、かなりちぐはぐな印象を受ける。
 参列者には椅子も座布団も用意されていない。オールスタンディグ形式である。神妙そうにしているものは居ない。号泣する女の姿も見えるが、金を出して雇った「泣き女」であるのは周知なので放置されている。一応のムード作りは必要なのだ。
 喪主も僧侶もいない葬儀は、誰かが「そろそろ行かね?」と言い出した頃にダラダラと終わる。参列者は棺を押して次の会場へと向かう。棺にはキャスターが取り付けられている。何事も合理性が重要だ。
 棺を中心とした一行は、河原へとたどり着く。空は相変わらずの曇天だが、所々虫食いのように晴れ間が覗いている。
 予めすり鉢状に掘り込んだ地面の中心に棺が運び込まれる。既に爆薬が等間隔で配置されており、かなり遠くまで導火線が伸びている。
 棺の中には、遺品と一緒に爆薬が詰め込まれている。
「故人のお顔が見られるのはこれが最後です」
とは言っても、爆薬だらけで顔なんざまるで見えない。最早、何を吹き飛ばすのかすら分からない状況である。
 参列者は遠巻きになって、「これから」を見守る。
 スイッチで一気に、などと無粋な真似はしない。導火線に火が入る。
 火花が最初の爆薬に届くまでの束の間、参列者達は合掌して冥福を祈った。中にはデジカメを構えている者もいるが、それを咎める者はいない。好きなように、「その瞬間」を待てばいいのだ。
 火がすり鉢の縁の向こうに消えた次の瞬間、破裂音と共に最初の爆発が発生した。
 間を置かずに、配置された火薬に次々と誘爆し、轟音と共に巨大な爆炎が天を衝いた。
 参列者から喝采が巻き起こる。ブラボー。よく見れば先程の「泣き女」も胸をはだけて奇声を上げている。個人的嗜好とビジネスは別物だけど、もう少し空気を読んで欲しいものだ。
 やや時間を置いて安全であることを確認し、参列者は爆心へ向かう。まさに木っ端微塵。故人の亡骸も棺も遺品も、跡形も無く吹き飛んでいる。
 これぞまさに、故人が望んだ「爆葬」の理想形である。
 黒ずんだ地面の上に土が被せられ、元通り平坦にならしていく。
「俺に墓標はいらない」
というどこぞの伝承者のような台詞を吐いた故人の遺志を尊重し、処理が終わると何事も無かったかのように参列者達は三々五々散っていく。
 午後2時。雲の切れ目からは弱弱しく秋の日差しが漏れ差していた。

 というのが理想なのだよ、と知人に力説したら「安心しろ、ゴミ処理場の焼却炉に放り込んでやるよ」とありがたい言葉を頂戴した。
 俺の扱いは、路上でくたばった犬猫と同等のようである。夢も希望もあったもんじゃねえ。