今でこそ水洗便所で用を足すことに慣れきっているが、8年ほど前まで俺の実家は汲み取り式便所だった。現代の日本においてレッドリスト絶滅危惧IA類にランク付けされている、俗に言う「ボットン便所」というやつである。
陶製の便器の直下には、汚物を汲み取った直後は底を見透かすことがかなわないほどの深い闇の世界が広がっている。油断していると「妖怪・尻舐め」にちょっかい出されそうな、そんな雰囲気。
足にギプスをはめたときに、どうやって用を足そうかと真剣に悩んだりとか、弟が穴の中に落ちて糞尿まみれになったとか、母親の実家のボットン便所は「おつり」が来るので、それを避けようとしたら尻から出たウンコが便器の外にOBしたとか、ボットン便所にまつわる逸話は枚挙に暇がない。穴の内側に引っ掛かったトイレットペーパーを小便で剥落させたのも、いい思い出である。
そんなわけで、自分のウンコは、長らく排泄と同時に穴の中に吸い込まれる不可視の存在だった。
排泄の後ですっきりした腹と、トイレットペーパーで拭いたときに付着する残滓だけが、排便の証だったわけである。
そのせいなのか、水洗便所で用を足した後、今しがた尻からコンニチワしたばかりのウンコを視認するのが癖になっている。たとえ洋式便所で座ったまま排水が可能な作りの便所でも、その行動は変わらない。そこで見事な形状のウンコを確認できると、美術家が傑作を生み出したときのような充足感を得られるのである。
現在俺が住んでいるアパートは、水洗式便所である。当然ながら排泄物は便器の上にぷっかり浮くし、やけに濃い赤茶色の尿を認めて自分の健康状態に不安を覚えることもある。もちろん、流す前にウンコは確認する。これで「色よし、大きさよし、形よし」と指差し確認までやれば完璧なのだが、全くもってその行為に対するメリットが思いつかないのでさっさと流している。
さて、つい先ほどの話である。
便意を催した俺は、誰憚ることなく排便行為に及んだ。
太さそこそこ・長さまずまずのウンコが抵抗なくスルッと排泄されたのが、直腸と肛門の感覚から伝わってくる。ぼっこし式排便ランキングBに属する、そこそこ上質の排便である。
こんなランキングを付けて、あまつさえブログ上で嬉々として公表していること自体、我ながら情けなくもなってくるが、本題はここからである。
流す前にとりあえず儀礼を、と便器を覗いてみたのだが。
あれ?
無い、のである。
感覚的には20センチ級のナイス☆バナナが出たはずなのだが、影も形も無い。
まさかOB? と一応足元を確認してみたが、最悪の事態は起きていない。そもそも、便が水に落ちる「ちゃぽん」という音をしっかり聞いている。
尻を拭くと、ちゃんと付いている。
世にも珍妙な、死体なき殺人事件ならぬ糞なき排泄行為である。
ちょ、俺のウンコどこ行ったのよっ?
あれか、無意識のうちにエアーウンコでも習得したのか? いや、いらねえってそんな非実用的な特技。
腹はすっきりした。しかし、気持ちがすっきりしない。
いっそ下剤でも飲んで、残らずすっきりさせてみようか。
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